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法話「阿那律」|埼玉県本庄市成就院
お釈迦様の十大弟子「阿那律」のお話
お釈迦様にはたくさんの弟子がいます。そのたくさんの弟子の一人が阿那律でした。
ある時、お釈迦様が悟りを得て、故郷のカピラ城に帰ってくることになりました。釈迦族の人々が沸き立ちました。そして多くの青年が弟子になりたいと熱望しました。
その結果お釈迦様の息子ラーフラとともに、釈迦族の青年約500名が出家することになりました。その中の一人が阿那律でした。
阿那律は何としてもお釈迦様の弟子になりたかったようです。兄も出家を希望していましたが「残された母親が可哀想だから兄さんはなんとか家に残ってくれないか」と兄を説得しました。
次に阿那律は母親に出家を願いでました。
しかし母親は許しませんでした。可愛い我が子を遠くに離したくないのす。それでも何とか出家したいと阿那律は母親に強くうったえました。すると母親は何とか出家を止めさせるために、
跋提梨迦(パドリカ)王という、お釈迦様の父である浄飯王が隠退した時にカピラ城の城主となった人ですが、彼が出家するなら、出家してもよいと言いました。
彼なら出家するわけがないと考えたのでしょう。しかし
阿那律はは親友である跋提梨迦に事情を話して説得しました。お釈迦様の教えを伝えると跋提梨迦も感銘し、7日の猶予の後に二人共、出家することになったのです。
ようやく願いがかなった阿那律。一生懸命お釈迦様のもと、修行が始まりました。ところが。
祇園精舎での修行中、なんと阿那律はお釈迦の説法中に眠ってしまったのです。大切な教えを説いている最中に、寝ている阿那律を、お釈迦様は叱責しました。
そして阿那律は驚き、そしてこのことを深く深く反省したようです。
すると次の日、阿那律はなんと不眠不休の誓いをたて、常坐不臥の修行を始めたのです。決して眠らず、座ったままで絶対に横にもならない修行です。普通なら途中で目をつむってしまうでしょう。
自然と眠りに落ちてしまうことでしょう。しかし阿那律は自らこの修行を続けました。周囲の修行者が止めるように説得を続けました。それでも阿那律は止めようとしません。ついにはお釈迦様が阿那律のもとを訪れ、阿那律を心配し、眠ってもよいと諭されました。
しかし修行を止めることはなかったのです。そしてついに、彼はその誓いを全うし、失明してしまったのです。
以前と同様阿那律は修行を続けたのです。お釈迦様がなくなる最後の旅にも同行されました。お釈迦様との信頼はお釈迦様がなくなっても失われず、お釈迦様の葬儀を指示したのも彼だったといいます。
お釈迦様がなくなるとき、阿那律は何が見えていたのでしょう。
お釈迦様には十人の偉大な弟子がいると伝えられています。
十大弟子の一人。それが阿那律です。
阿那律はその失明により、天眼(てんげん)を得たと伝えられています。
現代でも阿那律のことはこう呼ばれています。お釈迦様の偉大な十大弟子の一人。天眼第一と。
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